ホーム・スクール

 何日か前、NHK BSの番組「街歩き(ワシントン)」を見ていたら(再放送みたいだったけど)、住宅街の中、どこかの家庭に上がりこんで行くシーン。
 小学低学年とおぼしき女の子2人がいる、この家庭。
 夫婦で、朝っぱらから、庭で遊んだり、お家でお絵描きしたり、料理を作ったりている。
「学校は?」の問いに、「行かない」のだそうです。
 学校は、宿題も多く、忙し過ぎるので、学校にはやらずに、夫婦で家庭で、教育をしているとか。
 では、いい加減な教育かと云うとそうでもないらしく、小学生の歳にして、将来は作家になるのだとかで、既に短編を書いているとか。
 学校にやらず、家庭で教育をするのを「ホーム・スクール」云って、ワシントンだけでも、1000くらいあるとか。

 義務教育をも夫婦で、引き受けるのは、社会に対しても、子供に対しても、それなりの責任を負うことになり、勇気もいるが、それを敢えてやる人達と、それを当然のごとく許容する社会。

 ひとと違うことをすると憎まれる、我が国では、とっても考えられない、無理な話かな?

 
 

ホーム・スクール」への2件のフィードバック

  1. 権兵衛

    私は教科書の検定を含む、画一化した教育に賛成ではありません。できることならいろんなタイプの教育の形があって、個性を伸ばせるような教育は望ましいと思います。だけど、教育は全く野放しで良いかという議論は勿論あると思います。
    さて、もしある程度の自由化がなされたとしても、教師社会の中で、変わったことをすることの難しさがあるという日本社会の特質もあるでしょうね。注意深い考察は必要と思います。
    教育を受ける側に立っても、仰ったように、一般的な流れになじまない教育を受けた人を、日本の社会はすんなりと受け入れられるのか?という問題は間違いなくあると思います。
    そんなことを考慮に入れた議論と実験的実践をすすめて、社会の意識が少しづつ変わっていくような試みがどんどんなされることが期待されます。

    理科で遊ぼう会の試みも、学校教育課を動かすのにかなりのエネルギーを要しました。我々の熱い説得はもちろん必要でしたが、賛同してくれたこどもセンターの館長(元小学校校長)が実践例を示すチャンスを下さり、それを見たある市職員の熱心な仲介があり、こじ開けることができました。でもそれだけではまだ駄目で、次には多岐にわたる授業科目満載の中に我々の試みを出前授業として受け入れようという校長さんの決断が必要で、そのためには職員会議で、その必要性と効果を説く教員の強い説得が必要だったはずです。活動を始めて7年になりますが、実践できている学校は、徐々に増えてはいますが、小中学校に限ると、まだ数校でしかありません(こどもセンター、公民館、環境情報センター等での授業は別にしています)。
    子供たちに実験の機会を増やそうという、特別変わったことでもないことにもかかわらず、根付くには時間がかかります。実践者と受け入れ側が信頼関係を築くこと、両者が持続しようとする強い意思と広げようという熱意とが不可欠と思っています。

    意義深い活動なら、世代を超えて継承されるでしょう。ローマは一日にして成らずですね。

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  2. QQ

    ホームスクール、出来ると良いと思います。
    登校拒否の子どもたちが安心して学べる学校も。
    小学校、必要派ですが、 個性が潰されない、
    自分で考える教育ができる場所が一カ所である必要はないのでは? と思います。
    今、
    政治家ばかりでなく、小さなコミュニティーでも、会社でも上にたつ人の適切な指導力が
    欠けてきているような気がします。

    回りの人と同じように、人の目だけを気にして、はみ出さない育つと、広く社会を見ることが
    出来なくなりそう、、、

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